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水俣病はまだ解決していない。被害をもっとすくい上げ、救済せよ。国は司法からそう迫られたのに等しい。もういたずらに裁判を長引かせず、救済制度を見直すべきだ。
平成21年施行の水俣病特別措置法でも救済されなかった約1800人が国などを訴えた集団4訴訟のうち、大阪訴訟(原告128人)で初判決があり、大阪地裁は全員を水俣病と認定し、ほぼ全面的に訴えを受け入れて国などに賠償を命じた。
特措法は政治判断で「最終解決」を図るべく施行された。国基準で患者と認められなくても一定要件を満たせば一時金などが支給される救済策だ。それでも「対象地域」や「年齢」「受付期間」という「線引き」があった。それによって弾(はじ)かれた被害者たちが今回の原告だ。
多くは熊本、鹿児島両県にまたがる不知火(しらぬい)海沿岸や山間部の出身で、結婚などを機に関西周辺に転居した。特有の症状があるのに元の居住地が対象地域外だったり、期限後に水俣病だと診断されたりした人たちだ。
大阪地裁判決は常識的な証拠評価と論理構成で原告全員が水俣病であること、水銀暴露後の発症までが長期にわたる遅発性水俣病が存在すること―などを推認し、救済の間口を広げた。納得感ある判決だろう。
熊本訴訟(原告1405人)の一部が来年3月に判決の予定だ。新潟(151人)、東京(75人)両訴訟も審理中だ。水俣病の公式確認から67年、大阪は判決まで9年を要した。その原告の平均年齢は約71歳だ。
原告の多くは手足や全身の感覚の鈍麻など、傍目(はため)には分かりにくい症状に苦しんできた。特措法申請期限後に初めて水俣病と診断された74歳の前田芳江さん(大阪府)は本紙の取材に「症状を説明するのもためらわれ、噓をついてきた。手の震えで字が書けず、冠婚葬祭の受付では『けがをしている』と代筆を頼んできた」と語った。
被害者は落ち度がないのに、泣かされてきた。罹患に泣き、行政の冷たさに泣いた。差別や偏見を恐れ、訴え出ることのできない潜在被害者も存在するとみられる。国、自治体、原因企業は裁判を長引かせるのではなく、原告と協力して被害の全容を解明し、救済を急ぐのが正義だろう。もうこれ以上、被害者を泣かせまい。
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2023年9月29日付産経新聞【主張】を転載しています